memeのラジオアーカイヴ

ラジオパーソナリティです。ラジオでお話ししたことやお話しできなかったことも。日々のいろんなことを綴っていきます。

昭和の歌心を綴った作詞家 永六輔

昭和の歌心を綴った作詞家にフォーカス。

今回は永六輔

作詞家という肩書き以外に、テレビ、ラジオの構成作家、タレントなど、幅広い分野で活動されていましたね。

1933年(昭和8年)4月10日、お寺の住職だった父のもと、6人兄弟の二男として生まれます。

生まれ育った東京、浅草の最尊寺の近くには役者や芸人が多く訪れ、銭湯では寄席に出かける前の芸人さんと一緒になったりすることも多かったそうです。

中学生の頃、NHKラジオ「日曜娯楽版」に投稿したハガキが採用されたことをきっかけに放送作家の道へ。

早稲田大学に入学しますが、すでに放送作家として売れっ子になっていたのであまり大学に顔を出さず「学費滞納」によって掲示板に貼り出されることもあったそうです。

その掲示板に貼り出されていたもう一つの名前が、中村八大。

永六輔と同じく、すでにジャズピアニストとして名を知られていた中村八大も同窓生でした。

その後、1961年(昭和36年)にスタートし、大ヒットした音楽番組「夢で逢いましょう」では、作曲家の中村八大と「68コンビ」と呼ばれるタッグを組み、全米ビルボード誌のシングルチャートで一位も獲得した「上を向いて歩こう」、「こんにちは赤ちゃん」などの名曲を次々と世に送ります。

永六輔が残したアーカイブの中から

作曲家、いずみ・たくとの共作で、同名ミュージカルの主題歌としてつくられた

見上げてごらん夜の星を

中村八大と制作した「遠くへ行きたい」

1970年(昭和45年)にスタートし同名の長寿番組のテーマソングとして使われています。

オリジナルはジェリー・藤尾ですが、デューク・エイセスなど多くのアーティストにカバーされています。

など、あらためて聴いてみるのはいかがでしょうか?