ブラックミュージックはお好きですか? 「Nina Simone」
ブラックミュージックはお好きですか?
お好きです。笑
私の愛聴盤をご紹介させてくださいね。
今回はニーナ・シモン「Nuff Said」
時代を超えて、人々を惹きつけて止まないニーナシモン。2003年に70歳で他界しましたが、亡くなってからも、2012年にはミッシェル・ンデゲオチェロ、2015年にはロバート・グラスパーがトリビュートアルバムを制作。そこにはローリン・ヒルが6曲で参加。。。同じ年にはニーナ・シモンのドキュメンタリーフィルム「ニーナ・シモン~魂の歌~」が公開され、若い世代からもニーナへのリスペクトが近年ますます大きくなっているのを感じますね。
1933年2月21日、アメリカ南部のノースカロライナ生まれ。幼い頃からクラシック・ピアノを本格的に学び、黒人女性初のクラシック・ピアニストを目指していました。フィラデルフィアのカーティス音楽大学を受験しましたが、成績優秀にもかかわらず不合格。彼女はのちにインタビューで「これは間違いなく黒人差別によるもの」と発言しています。
ピアノだけでは食べていけない、ならば歌おうと、ナイトクラブで弾き語りをしていたところ、実力を認められ、1958年にデビュー。バッハやショパンなどクラシックのフレーズを織り込んだピアノ演奏にのせて、ジャズやブルース、ゴスペルなどを自由自在に歌うスタイルが人気を博し、60年代には世界的大スターになります。
プライベートでは1961年に結婚。一児を出産。1960年代にシンガーとして絶頂期を迎えたニーナですが、その絶頂期に歌手人生の転機が訪れます。公民権運動や黒人解放運動に共鳴したニーナはマーティン・ルーサー・キング・Jr.やマルコムXやストークリー・カーマイケルらの運動に傾倒していき、政治的に過激な曲を次々に発表していきます。その主張は日に日に激しさを増し、扱いにくい人物として、エンタメ業界から存在感を失います。表舞台に出ることも少なくなっていきました。
そんな頃、1968年、マーチン・ルーサー・キングが暗殺されるという悲劇が起こります。その3日後にキング牧師追悼ライブが行われました。そのライヴ音源を収めたのが「Nuff Said」
ニーナ・シモンの波乱万丈な人生。。。ここまでで、やっとその前半、と言ったところでしょうか。その後はといいますと、夫と離婚し、アメリカを離れます。ニーナはドキュメンタリーフィルムの中で「もう私は本当にこの国には疲れたの」と語っています。まずカリブ海のバルバドスへ渡り、その後、アフリカのリベリアへ移住。そこからスイス、オランダ、フランスを転々とし、2003年にその生涯を閉じました。。。
精神的に不安定が時期も長くありましたが、晩年は孤独でありながらも手を差し伸べてくれる友達がいたようです。
ニーナ・シモンが最も精力的に活動していたのが1960年代とすると、それから約60年が経過しました。もしかしたら、彼女は、先を行き過ぎていたのかもしれない、時代がやっと今、ニーナ・シモンに追いついたのかもしれない、とふと思ったりもします。
時代を超え、人種を超え、ジャンルを超え、愛され続ける黒人女性シンガー兼ピアニスト、ニーナシモン。
1968年のライヴアルバム「Nuff Said」から
「Ain’t Got No, I got life」
オリジナルはミュージカル「ヘアー」 で歌われたもの。タイトルな「私には何もない。でも生きている」という意味ですね。何もないけど、命はある。生かされている。。。と、そのタイトル通りのことを歌っています。
「I Loves You、Porgy」
ジョージ・ガーシュインが作曲したオペラ「ポギーとベス」の挿入歌です。
Jazzスタンダードとしてたくさんのアーティストがカバーしていますが、ニナシモンはデビュー前、ジャズクラブのオーナーにピアノだけでなく、何か歌えるか、と聞かれ、これだけは歌えると言って、ジャズクラブの仕事をもらったそうです。デビューアルバムに入っています。
ニーナ・シモンは強すぎて、ちょっと、苦手。。。というイメージをお持ちの方に、ぜひ聞いていただきたいナンバーです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
また次回もゆるりとお付き合いいただければ。。。
ブラックミュージックはお好きですか? 「Tony!Toni!Tone!」
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お好きです。笑
私の愛聴盤をご紹介させてくださいね。
今回はTony!Toni!Tone!、1996年リリースの4作目「House of Music」
90’s R&Bを代表するソウルクラシックアルバムの一枚ですね。
ラファエル・サディークとドウェイン・ヴィギンズ兄弟、その従兄弟、ティモシー・ライリーの三人によって結成されたトニー・トニー・トニー。デビューは1988年のアルバム「Who?」
続く1990年にリリースされたセカンドアルバム「ザ・リバイバル」。ここからはヒップホップ色の強いゴキゲンなナンバー「Feels Good」やミドルからスローなテンポのメロウチューン「It never rains in Southern California」など4曲がシングルカットされ、次々とブラックチャートを制覇しました。
そして、ニュージャックスウィングブームも去りつつあった1993年にサードアルバム「サンズ・オブ・ソウル」を発表。生音を多用し、レトロソウルな趣きやライヴ感もあって、ヒットしましたね。。。チャートで判断すると、彼らにとって最も成功したアルバムとなりました。
その3年後、1996年にリリースされたのが「House of Music」です。個人的に一番好きなのはこの作品。「サンズ・オブ・ソウル」よりビンテージ感があって、60年代、70年代ソウルへのオマージュが感じられます。とはいえ、そのまま、なぞるのではなく、ヒップホップやジャズの要素も取り入れて、彼ら独自のサウンドを築いています。。。打ち込み中心だった当時のR&Bに生音をブレンドする彼らの手法は、まぁ、引き込まれるものがありました。
そういう意味ではブルーノ・マーズ&アンダーソン・パークのシルクソニックも70年代のソウルやファンクにアプローチし、生演奏にこだわって、当時の質感やグルーヴを追求したスタイルですね。
歌は世につれ世は歌につれ、と言いますが、偉大なソウルジャイアンツたちが残したグルーヴは脈々と次の世代に受け継がれているんですね。。。
時代によって変化はしていきますが、真のソウルはリスペクトされながら歌い継がれていくものなんだな。。。と。
「House of music」からオススメは
唯一メンバー以外のプロデューサーとしてDJクイックを迎え、DJクイックのラップをフィーチャーした「Let’s get down」やアル・グリーンへのオマージュを感じさせるサザンソウルテイストな「Thinking of you」など。。。
最後までお読みいただきありがとうございました。
また次回もゆるりとお付き合いいただければ。。。
ブラックミュージックはお好きですか? 「Quincy Jones」
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今回はクインシー・ジョーンズ、1995年にリリースしたソロ・アルバム「Q’s Jook Joint」をピックアップ。
ブラックミュージック界でドンであり、リヴィング・レジェンドといえば。。。クインシー・ジョンズ。アメリカを代表する偉大なプロデューサーの一人ですね。
アルバムタイトルの「Q’s Jook Joint」ですが、
Qはクインシーの「Q」で、クインシーのニックネーム。ジュークジョイントとはお酒を楽しむバーのような場所のことで、クインシーは駆け出しの頃、よくジューク・ジョイントで演奏していたそうです。そのジューク・ジョイントにミュージシャンが集まってきて、ジャムセッションが始まる。。。というイメージのタイトル。。。でしょうか。その参加アーティストが、まぁ、錚々たる面々なんです。
レイ・チャールズ、スティーヴィー・ワンダー、ハービー・ハンコック、ナンシー・ウィルソン、ブライアン・マックナイト、テイク6、フィル・コリンズ、グロリア・エステファン、パティ・オースティン、ナオミ・キャンベル、ロン・アイズレー、チャカ・カーン、ベビーフェイス、バリー・ホワイト、タミア、ブランディ、アンド・モアです。
プロデュースはもちろんクインシーですが、アソシエイト・プロデューサーには、クインシーが自叙伝で「真に最高のパートナー」と語るヒットメイカー、ロッド・テンパートン、そしてクインシーサウンドの軸となる人物、グレッグ・フィリンゲインズも参加しています。
1933年3月14日、シカゴ生まれ、シアトル育ちのクインシー・ジョーンズ、御年、88歳。まもなく89歳になられます。「Q’s Jook Joint」のリリース時は62歳。人生100年時代と言われて久しいので、60代でも精力的に活動されている方は、非常に多いですが
ゆーても、62歳です
ちょっと、ゆっくりしようかな、と思うお年頃なのかもしれませんが、いえいえ、稀代の名プロデューサー、クインシー・ジョーンズ。多くの仲間や友達、秘蔵っ子を集めて「まだまだ、やったるでぃ」という意気込みを感じる作品です。
中でもオススメは。。。
「Rock With You」
マイケル・ジャクソンの代表曲をブランディが歌い、ラップでヘヴィー・Dがフィーチャーされています。オリジナルよりヒップホップ色は強いですが、これがまたとってもクールです。
「Moody’s Mood For Love」
アレサ・フランクリンやジョージ・ベンソンなどもカヴァーしていました。ここではクインシープロデュースでブライアン・マックナイト、ラシェル・フェレル、テイク6、ジェームス・ムーディーがフィーチャーされています。ジェームス・ムーディーのサックス・ソロにウットリします。ブライアン・マックナイトのヴォーカルとテイク6のコーラスも美しい一曲。。。
最後までお読みいただきありがとうございます。
次回もまたゆるりとお付き合いいただければ。。。
ハートのお弁当シリーズ(目玉焼き編)
最初はちょっといたずらのつもりで作った高2二男のハートなお弁当。
だったのですが
「おかん、ホンマ頼むわ、やめてくれ」な昭和男子と違って令和男子は恥ずかしがらない?!
むしろ、学校へ行く前に「ちょっとお弁当見ていい?」と楽しみにしている?!
というわけで、しばらくハートなお弁当を続けることに。
メニュー
「チキンライスにハートな目玉焼きとハンバーグ」
「かぼちゃ、にんじん、こんにゃくと椎茸の炊いたん」
「キューリの一夜漬け(昆布茶・塩・ごま油)」
「タンドリーチキン」
「ホタテの醤油バターソテー」
型抜きした後の部分も、もちろん捨てずに全部いただきます〜
ブラックミュージックはお好きですか? 「Musiq Soulchild」
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今日はMusiq Soulchild、2000年リリースのデビューアルバム「Aijuswanaseing」
本名はタリブ・ジョンソン。フィラデルフィア出身。
デビューは2000年の「ジャスト・フレンズ」という曲。映画『ナッティ・プロフェッサー・クランプ家の面々』のサウンドトラックに収録され大ヒット。その「ジャスト・フレンズ」も収録したデビューアルバム『アイジャスウォナシング』からは「ラヴ」という曲もヒットしましたね。
その2年後、2002年に2ndアルバム『ジャス・リスン』をリリース。ここからはフランシス・レイの「パリのめぐり逢い」をサンプリングした「ハーフクレイジー」が大ヒット。アーティスト名からソウル・チャイルドを取り、「ミュージック」だけに改名したのもこの頃です。このセカンドアルバムは全米アルバム・チャートで初登場1位を記録。2作連続でミリオン・セールスを記録しました。。。
2003年には3rdアルバム『ソウルスター』をリリース。ここからは「For the night」がヒットしました。この頃からラップするように歌う、いわゆるラップ・シンギングも定着しましたが、この歌唱の原点はアマチュア時代にフィラデルフィアのサウス・ストリートでフリースタイルのラップを披露していた経験からくるものだそうです。
2007年にはデビュー以来の所属レーベル=デフ・ジャムを離れ、アトランティックへ移籍。アーティスト名のミュージック・ソウル・チャイルドに戻してアルバム「ラヴアンミュージック」をリリース。インディア・アリーの曲、“Chocolate High”でデュエットしてたのものこの頃でした。
その後もコンスタント発表していて、最近でいうと、2019年。。。3年前にアルバム「ソービューティフル」をリリースしています。
そんなミュージック・ソウル・チャイルドがデビューしたのは今から22年前。。。
2000年、ミレニアムな年に、フィリーの伝統を受け継ぐファンクソウルの申し子として、彗星の如く舞い降りてきた。。。そんなイメージでしたね。
デビューアルバム「アイジャスワナシング」で推し曲は。。。
ボビー・ヘブのsunnyを下敷きにした「Just Friends」
R&Bチャート2位を記録したメロウなバラード「LOVE」など
最後までお読みいただきありがとうございます。
次回もまたゆるりとお付き合いいただければ。。。
ブラックミュージックはお好きですか? 「Alicia Keys」
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今回はアリシア・キーズ「As I Am」
グラミー15冠、全世界トータル・セールス6,500万枚を誇るアリシア・キーズ。2021年は通算8枚目となる「KEYS」をリリース。1つの楽曲に対し<オリジナルズver.>と<アンロックドver.>の2種類の音源が対をなして収録されるというアリシアの原点回帰的アルバム、と言われていますね。
アリシア・キーズ、2001年にリリースされた「Songs In A Minor」でデビュー。
そのデビューアルバム「Songs In A Minor」は見事全米アルバム・チャート初登場1位を記録。シングル“Fallin’”でも全米シングル・チャート6週連続1位を記録。グラミーも最優秀楽曲賞を含む5つの部門で受賞し、その年の最多部門受賞を達成しました。
その2年後の2003年にセカンドアルバム「The Daiary of Alicia Keys」をリリース。ここに収録された楽曲の中でも根強い人気を誇る名曲といえば“If I Ain’t Got You”。この曲はアリーヤが亡くなったことや9.11、アメリカ同時多発テロという悲劇を受けて制作され、人々の心に寄り添うアリシアの代表曲の一つ。このセカンドアルバムも全米アルバムチャートで1位を記録しグラミー賞4部門を受賞。
その後、2005年にアンプラグドを、そして、2007年にサードアルバム「As I Am」をリリース。
プリミティブといいますか、削ぎ落とした美しさがあるといますか、シンプルに表現力豊かなボーカリストとしてのアリシアの魅力が詰まっているような気がします。どの曲もシングルになりそうなぐらい。。。名曲ぞろい。モータウンや60年代から70年代の世界観にインスパイアを受け、ヴィンテージもののキーボードを多用しているのも、このアルバムの特徴。アルバムはレコードの針を落とすところから始まり、ボーナストラックの前に入っているラストの14曲目はレコードの最後の溝を行き来するノイズが聞こえてきます。レトロでヴィンテージな演出が感じられます。
このサードアルバム「As I Am」も最終的にグラミー3部門を受賞しました。大型新人という枠から、さらに一歩、唯一無二なR&Bシンガーとして進化させたアルバムと言えるのではないでしょうか。
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ブラックミュージックはお好きですか? 「Fela Kuti」
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今回はフェラ・クティの「Zombie」
ナイジェリアのブラックプレジデントでアフロビートの父、フェラ・クティ。
あらためてその生い立ちをたどっていきますと、フェラクティは1938年、ナイジェリアの首都ラゴス北部に位置する街、アベオクタで生まれたヨルバ人です。10代の頃から仲間を集めてバンド活動開始。当時のナイジェリアを含む西アフリカでは、ハイライフと呼ばれるジャズからの影響を大きく受けたポピュラー音楽が流行していたそうで、1958年にロンドンの音楽大学に留学してからは、彼の興味はさらに本格的なジャズへ向かって行きます。しかし、イギリスから帰国後は1960年代にアフリカを訪れたジェームス・ブラウンのファンクに衝撃を受け、その要素を吸収しながら、自らのサウンドに、積極的に取り入れて行きました。こうして、ジャズとハイライフ、ファンクが一体化した彼独自の複合的ファンク・サウンド「アフロ・ビート」が生み出されました。
1969年、アメリカツアーに出かけ、そこでマルコムXらによる黒人解放運動の影響を強く受けて帰国。それをきっかけに彼は、世界の黒人が連帯する事を目指し、その第一歩として、アフリカの統一を目標にかかげるようになります。そしてその5年後、1974年、貧富の差の拡大など、多くの問題を抱えていた政府に反旗をひるがえし「カラクタ共和国」というコミューンを設立します。しかし、そんな彼の国家内国家の設立が政府に認められるはずはなく、フェラ・クティは逮捕されてしまいます。
しかし、本当の闘いはそれからでした。彼は刑務所から出所後すぐに獄中での出来事をもとに、政府を批判するアルバムを次々にリリース。ナイジェリア国内では、これらのアルバムがどれも大ヒットし、その凄さは国境を越えて海外にまで伝わって行きました。
その後も、カラクタ共和国は何度となく軍隊による襲撃や放火などの被害を受け続けますが、フェラ・クティはその都度、新しいアルバムを発表し、果てしない闘いが続きました。音楽を武器にして、政府に立ち向かったその姿は一般市民の希望の糧となり、1997年、58歳でその生涯を閉じましたが、「闘うミュージシャン」として、多くの人々にリスペクトされています。
レコーディングはほぼ一発どりの即興だったそうで、また、一度レコーディングしたものはライブで演奏しなかった、、、とも聞きます。
私が初めてフェラ・クティの曲を聴いたのは1990年代のNY。
シェルターというクラブでTimmy RejisfordがこのZombieを鳴らした瞬間
フロアー全体が突然トランス。。。衝撃でした。
音楽がこれほど人々を高揚させるのかと。
忘れられない光景です。
ナイジェリア兵をゾンビに例えて歌った「Zombie」
12分くらいありますが、オススメです。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
また次回もゆるりとお付き合いいただければ。。。