memeからmamaへ

ラジオでお話しできなかったことや日々のいろんなこと。memeでmamaでyomeな視点で綴っていければ。。。

ブラックミュージックはお好きですか?  「Soul ll Soul」

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ブラックミュージックはお好きですか?

 

お好きです。笑

 

私の愛聴盤をご紹介させてくださいね。

 

今回はSoul ll Soul「Club Classics Vol.One」

 

1989年に発表されたシングル「キープ・オン・ムーヴィン」は衝撃でしたね。。。

この頃、アメリカのニューヨークを中心とする東海岸のブラックミュージックシーンでは、テディ・ライリーが手がけたサウンド「ニュージャックスイング」が盛り上がりをみせ、海を渡ったイギリス、ロンドンではSoul ll Soulを始めとした、いわゆる、グラウンド・ビートが新たなムーブメントになりました。

 

1980年代後期のUKというとアシッドジャズがシーンを賑わした一方で、ふっと聞こえてきたグラウンド・ビート。当時私は大学生でしたが、ソウルでハウスなんだけど、アメリカのブラックミュージックとは全く違っていて、とにかく斬新でした。

 

ジャジーB率いるSoul ll Soul

1986年にレーベルと契約を交わし、Keep on movingやBack to lifeなどのヒットでチャートを賑わし、1990年には二つのグラミー賞を受賞しています。その後、ジャジーBはプロデューサーとして、またリミキサーとして、The Fine Young Cannibals、Public Enemy、Sinead O’Connor、Ziggy Marley、NasDestiny’s Childなどに楽曲提供。現在、ロンドンのスタジオにて、独立系レーベル<Soul ll Soul Recordings>の運営を行いつつ、ラジオのDJもしているようです。

 

個人的な思い出をお話しさせていただきますと
90年代後半だったかな。ジャジーBが大阪の福島にあったクラブ・ Qooにきたことがあったんですよね。Qooというと大阪ミナミの生みの親と言われる日切真理子さんがプロデュースされた高架下のクラブでしたが、流行ってましたね。。。

 

で、そこにジャジーBがきてるよ、と友人から聴いて、ありがたいことに近くまで行けたのですが、好きすぎて、全く話せなかったという。。。20代の頃です。。。

 

1995年のアルバム「Club Classics Vol. One」からは

Keep On Movingや

キャロン・ウィーラーをフィーチャーした

アコースティックなBack To Life、

African Dance、Jazzie's Grooveなどもオススメです。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

次回もゆるりとお付き合いいただければ。。。

 

ブラックミュージックはお好きですか?「Donny Hathaway 」

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ブラックミュージックはお好きですか?

 

お好きです。笑

 

私の愛聴盤をご紹介させてくださいね。

 

今回はダニー・ハザウェイです。。。

私が最もリスペクトする黒人シンガーソングライターの一人です。新しい時代のソウルの道を切り開き、模索しながらもゴスペルの心と希望を捨てず、愛と自由を追い求め続けた、ダニー・ハザウェイ

 

1945年シカゴ生まれ。幼少期にセントルイスゴスペルシンガーだった祖母と共に過ごし、わずか3歳からゴスペルを歌っていたそうです。彼は中流階級出身のミュージシャンのはしりと言える人で、ワシントンDCのハワード大学でクラシック音楽の勉強をしています。そのためか、ソウルの枠に留まらない、奥行きのある曲をたくさん残しておられますね。。。

 

大学在学時にミュージシャンを志したダニーは、60年代後半にカーティス・メイフィールドが主宰していたカートム・レーベルのスタッフに加わり、そのキャリアをスタートさせます。1970年、キング・カーティスの後押しでデビュー。ニューソウルの旗手となりますが、わずかその9年後、1979年に、事故か、自ら命を絶ったのか、未だ、謎のままですが、この世を去りました。

 

ダニーがソロ・アーティストとして、精力的に活動した70年代前半というと、60年代に起こった公民権運動の成果と限界が同時に顕著になった時代。黒人内部の階層の分化が急激に進んでいきました。そんな中でもダニーは、多くの黒人が抱くのと同じように、明るい未来の到来を信じていたのではないか、と感じさせるのが、ボビー・ウーマックにも取り上げられた

 

「Someday we'll all be free」というナンバー

 

「いつか自由に」のその「いつか」をいったいどれくらい先のことだと思っているのかわかりませんが、明るい未来を待ち望んでいたのではないかと思われます。しかし、そんなに簡単に解決するようなことではなく、むしろ70年代に入って、アメリカにおける黒人の境遇はさらに分極化が進みました。そんな時代を生きたアーティスト。。。ダニー・ハザウェイ。常に明るい未来を見据え、仲間たちを優しく勇気付けるような歌を歌い続けました。

 

大学の同窓生だったロバータ・フラックとのデュエット「Where is the love」やキャロル・キングの「You’ve got a friend」さらに「A song for you」や「Love Love Love」などたくさんのヒットがありますが、何と言っても

 

1972年のライヴ・アルバム「ライヴ」名盤ですね

 

1945年生まれですから、ご存命なら77歳。。。

ライヴで歌っているところを。。。拝見したかった。。。

 

どんな歌もダニーが歌うと、シルクのように柔らかく、カシミヤのように温かい。

 

でも、なんだろ

 

そこはかとない、憂いや儚さも感じられるような気もしますね。黒人であることを否定的ではなく、あくまでも肯定的に、その先にある光を届けてくれるような、偉大なアーティストです。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

また次回もゆるりとお付き合いいただければ。。。

 

2度目の挑戦。東大受験初日。賃貸物件探し

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こんばんは。

 

今朝、長男を大学まで見送るつもりだったのですが

やっぱり寮から一人で行く、と言われ撃沈。笑

 

ならば、とその足で春からの賃貸物件探し。

 

合否関係なく、一応みておこう。。。みたいな感覚でした。

 

まずは本人が希望するエリアの不動産屋さんへ行ってみたところ。。。

 

すでに思いっきり争奪戦。。。

 

合格前予約可、な物件(発表前に予約できて、合格しなければ手付金は手数料を差し引いて返金してくれる物件)は熾烈な戦い。。。

 

午前9時30分、開店一番、予約なしで飛び込んだ不動産屋さん

希望に合いそうな二軒を選んで、さぁ案内していただこう。。。と思っていたら

隣から「これに決めた!決めました!」というお声。。。

 

え?もしかしたら?

はい、それは私も見せていただこうと思っていた物件。

 

アイタタ。。。でも、仕方ないな。。。と、そのとき

 

その物件に決めた!という東大受験生のお母さんらしき女性が私のほうを向いて

「私も昨日、決めようと思った物件を他の方に決められてしまったの。だから早いほうがいいわよ」と。

 

わー、その筋の先輩だ。。。笑

 

それから数件の不動産屋さんに伺いましたが、あちらこちらから

 

「申し込み、お願いします!」みたいな声が。。。くぅぅ。。。

 

今日は丸一日。物件探しの旅を終えて、ホテルに帰還。

 

ああ、恐るべし、東大受験戦争。

ボッーとしてたら、チコちゃんに叱られます。笑

 

明日は二日目。

受験生のみなさんガンバレー。母さんたちも頑張ってるよー

 

 

 

 

 

 

2度目の挑戦。東大受験初日。当日の朝

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おはようございます。

 

昨年4月から東京で予備校に通いながら寮生活を送る19歳長男。

東大理一、2度目のチャレンジ。

2月25日、今日はその初日。

 

私は昨日仕事を終えて東京入り。

寮の近くで一緒に軽く食事をし、解散。

長男は寮へ。私は寮近くのホテルへ。

 

「正門から入るのはやめておく。模倣犯がいるとなるとやっぱり本郷を狙うだろうし。事件が怖いな。。。」

文系受験会場は駒場キャンパス。理系受験会場は本郷キャンパス

理系受験生はそう言ってる人、多いらしい。

 

昨年は二人で東京入り。朝、大学へも一緒に行きましたが

ホテルに着いてからLINEで

「明日は悪いけど、やっぱり一人で行くわ。そのほうが集中できる気がする。。。」

 

「でも、お金がないねん」

 

なんじゃそれ。もっと早く言ってよ。夕食のとき、渡せたのに。

 

「ホテルまで取りにおいで。。。」と言いたいところだけど

 

すかさず

 

「明日の朝、寮まで持っていってあげるよ。今日は早めに寝てね。。。」

って、甘い、甘い。笑

 

そろそろ準備して、お金だけ渡しに寮へ行ってきます。

こっそり、後をつけていこうかな。笑

 

全ての受験生が全力を出しきれますように。。。

 

 

 

 

 

ブラックミュージックはお好きですか?「Chrisette Michele」

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ブラックミュージックはお好きですか?

 

お好きです。笑

 

私の愛聴盤をご紹介させてくださいね。

 

前回ピックアップしたベイビーフェイスがプロデュースしたものの中で、比較的新しいもの。。。というと

 

クリセット・ミッシェル 2007年のファーストアルバム「I AM」

 

新しいといってももう15年前ですね。

 

歌声がとっても魅力的なんです。初めてその声を聴いたとき

 

「まるで、たわわに実った果実のようだな。。。」と。潤いと艶があって、甘く、ふくよか。。。それがファーストインプレッションでした。

 

そんなクリセット・ミッシェル 、出身はアメリカのニューヨーク州ロングアイランド。母親がゴスペルクワイアーのディレクターだったこともあり、幼い頃から自然と音楽に親しんでいたようです。2006年、Jay-Zにその実力を認められ、同じ年の12月にJay-Z featuring Chrisette Michele名義のシングル「Lost one」をリリースしましたが、その後、LAリードが率いるデフ・ジャムと契約。のちにLAリードは「彼女の歌を聴いた時には鳥肌がたった」と語っています。

 

2007年5月にデフジャムからシングル「If I Have My Way」でデビュー。まずこのシングルがスマッシュヒット。翌6月にファーストアルバム『I Am』をリリース。このアルバムは、アメリカだけで50万枚を超えるセールスを記録。大ヒットしました。このアルバムからのサードシングル、Black Eyed PeasのWill.I.amとのコラボ曲「Be OK」が2009年2月のグラミー賞で「最優秀アーバン/オルタネイティブパフォーマンス賞」を受賞。

 

その後もコンスタントにアルバムをリリースし、活動を続けています。

 

学生の頃に、ジャズボーカルを学んだこともあってか、ファーストアルバム「I AM」からはR&B、ソウルだけでなく、ジャズやゴスペルの要素も聞こえてきたりして、表現力が豊かなボーカルが魅力的です。

 

また迎えた制作陣もその筋の一流どころばかりです。。。
ベイビー・フェイス、サラームレミ、ウィル・アイ・アム、ジョン・レジェンドなど。。。ベイビー・フェイスは2曲、プロデュースしています。

 

オススメはグラミー受賞曲「Be OK feat.Will.I.Am」や
Babyface プロデュースナンバー 「Best of me」「Your Joy」

「Let's Rock」もいいですよ。。。

 

よかったら聴いてみてくださいね。

 

そして、また次回もゆるりとお付き合いいただければ。。。

 

 

ブラックミュージックはお好きですか?「Babyface」

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ブラックミュージックはお好きですか?

 

お好きです。笑

 

私の愛聴盤をご紹介させてくださいね。

 

今回はBabyfaceです。90's R&Bを代表するスーパープロデューサーの一人ですね。

 

あらためて、そのキャリアをここでお伝えする必要がないほど、きっと、ご本人が歌ってなくても、彼がプロデュースした曲を聴いたり、ベイビーフェイスだったらこの曲、このアルバムが好き。。。というのをみなさん、お持ちかと思います。。

 

1983年、23歳のときに加入したオハイオのグループ、ディールでLAリードと出会い、のちにビジネスパートナーとして、ヒットを量産して行きますが、ディールの活動と並行してソロデビューは86年のアルバム「Lovers」

 

その後、ソロアルバムをリリースしながらも、LAリードと共にプロデュースしたウィスパーズの「ロック・ステディー」が大ヒット。ここから80年代後半から90年代にかけてはスーパープロデューサーのへの道、まっしぐら、でしたね。

 

最近では昨年、2021年にKing&Princeの楽曲をプロデュースされてました。

 

私が初めて聴いたベイビーフェイス作品は彼のセカンドアルバム

1989年の「テンダーラバー」

 

当時大学2年生だったのですが、とある会合で知り合った音楽プローモーターさんが、「これから必ずこの人の時代がくる」といって紹介してもらったのがベイビーフェイスでした。確かにその通りになりましたね。

 

ベイビーフェイスを初めて、ライヴで見たのは2007年のビルボードライヴ東京。その時の公演は東京オンリーでした。その数年後、ビルボードライヴ大阪でもライヴを行いましたが、自らのヒットだけでなく、ボビー・ブラウンやジョニー・ギル、ボーイ・2・メンなどに提供したナンバーをメドレーで披露したり、ステージのセンターで弾き語りしたり、キレのあるダンスも披露してくれました。

 

ベイビーフェイスで一枚!というと1996年の作品「The Day」

 

メロウでディープなR&Bが多めで、ほぼミドルからスローなバラードですが、ベイビーフェイスならではの、美メロが堪能できます。ケニー・Gマライア・キャリーエリック・クラプトンスティービー・ワンダーなどゲストも豪華ですね。。。

個人的にオススメは「Simple Days」や「How come How long」など。。。

 

ちなみに。。。

Babyfaceというアーティスト名を命名したのはブーツィ・コリンズ

ブーツィはSilk Sonicの名付け親でもありますね。

ブーツィのネーミングセンス、冴えてます。

 

また、次回もゆるりとお付き合いいただければ。。。

 

 

 

 

ブラックミュージックはお好きですか?「Angelique Kidjo」

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ブラックミュージックはお好きですか?

 

お好きです。笑

 

私の愛聴盤をご紹介させてくださいね。

 

今回はアンジェリーク・キジョー 。世界で最も成功しているパフォーマーの一人ですね。

 

過去30年以上にわたり、国際的な音楽界で並外れた声の持ち主としての地位を確立し、多くのアーティストにインスピレーションを与え、グラミー賞を4回受賞。また、音楽活動だけでなく、ユニセフの親善大使として世界各地で子どもたちのために活動しているほか、アフリカの少女たちの教育支援を目的とした財団を共同で設立したりと、国境を越えて幅広いファンをもつアンジェリーク・キジョー 。

 

生まれはベナン共和国コトヌーという港町。はじめて舞台に立ったのは6歳の時。母親が率いる旅回わり一座。。。って、言い方が和風ですが、母親の劇団で踊ったのが初舞台。ハタチを迎える頃には、プロのシンガーとして活動。その後、ベナン国内の政情不安により、1983年、23歳でパリに移住。5年経たずして、本人のリーダーバンドを率いて、1990年にデビューアルバムをリリース。これまでに15作以上をリリースしています。。。


英語、フランス語、フォン語、ヨルバ語が堪能で、曲によって英語だったり、ヨルバ語だったり、その両方で歌ったりされています。

 

そんなアンジェリーク・キジョー の作品に出会ったのは、1990年代後半です。フェラ・クティがきっかけで、アフリカの音楽をもっと知りたくなり、神戸のCDショップの「ワールド」のコーナーで見つけたのがこのアルバム、アンジェリーク・キジョー の「オレミ」でした。

 

アフリカの大地を感じる土っぽさは十分、アンジェリーク・キジョーのエモーショナルなボーカルから聴こえてくるんですが、それに重なるディープなグルーヴにファンキーなビートが、とても先進的で洗練されていて、アフリカと世界を結びつけるようなサウンド、というのでしょうか。これぞワールドミュージック。。。という印象を受けたのを鮮やかに記憶しています。

 

ちなみにアンジェリーク・キジョー

 

昨年2021年、ニューアルバムもリリースしています。

 

1998年のアルバム「オレミ」からは
ジミ・ヘンドリックスのカバー「Voodoo Child」や「Yaki Yaki」などがオススメです。

 

よかったら聴いてみてくださいね。

 

そして、また次回のゆるりとおつきあいいただければ。。。